支援者で居続ける事が目的化しているなら、支援に対するビジョンは永久に見つからない

神奈川県の葉山町(首都圏屈指の海洋リゾート・別荘地としても知られ、財政が豊かなのか町村議会としては議員報酬が全国トップレベル)で一位当選した某町議が覚せい剤で逮捕された件について有名政治ジャーナリストの意見
議員になる事が目的の議員。議員になって何をやりたいとかは無い

他にも、温泉への不正出張の繰り返しで号泣会見した兵庫県議や、育児休暇を申請して世間の注目を浴びるも不倫が発覚して辞職した国会議員なども、同じタイプの政治家かも知れません。

覚せい剤や不倫問題こそ取り沙汰されていないものの、残念ながらNPO不登校情報センター理事長・松田氏も、結果論として「支援者になる事が手段ではなく目的化している」可能性が大きいと思われます。
「結果論として」とは、松田氏が支援者になったのは「教育系の出版社に居た頃、世間から見過ごされ情報提供が追いついていない不登校の問題に気付き、様々な情報提供・相談を開始した」という成行きだそうです。発端が成行きであること自体は別に非難されるべきものでは無いと考えますが、そうである分、「支援者で居続ける事が目的化している」現状を見え難くしている可能性が大いに有ると思われます。

例えば、大臣等の役職を辞めても、議員辞職はしない政治家が居ます。やはり高額な議員報酬などが魅力的なのかもしれません。
いっぽうで松田氏は不登校情報センターを続けても、大金にはありつけません。しかし、「引きこもり支援者」という肩書きが手に入りますし、20年以上も続ければネームバリューは活動期間に比例して増大します。
定年退職などして「企業や社会での肩書きを喪失した」高齢者は、趣味活動などの「他の生きがい、他の自分」を持っていないと精神的に窮地に立たされると言います。特に中高年にとっての肩書きや趣味や自分らしさは、非常に大きな意味を持つ重要な要素であるという事です。これを否定したり手放したりする事は相当な恐怖を伴うわけです。

「何者でもないボク」「何者にも成れないボク」などと、十年後の自分には見せられない恥ずかしい自意識過剰さの、ピュアで赤裸々なポエムを綴れるのは「持たざる者」「若輩者として弱音を社会から受容される」若者の特権です。
いっぽうで松田理事長と同年代の高齢者が、自身の人生を一旦否定してみる事は非常に困難です。松田理事長に限った事では有りませんが、高齢の権威者が周囲から、老いによって低下した熟練度や、大した実力でないにも関わらず長年続けてきた点のみが過大評価され、その業界の権威であるという世間的な評価と、現実の能力との乖離を指摘され「老害」と揶揄される事態が多々生じるのは、その為でしょう。