松田武己・著『ひきこもりー当事者と家族の出口』私のレビュー

不登校情報センターの公式ブログのひとつ「片隅にいる私たちの創造展」
自著『ひきこもりー』の論評を見る 2010年9月23日付けエントリにおいてhttp://yaplog.jp/katasumi85/archive/333

松田武己理事長が、自著がネット通販ショップ「アマゾン」のレビューで良いことが書かれているのを目のあたりにして有頂天になっています。

そこで、私なりにもレビューを、某通販サイトの書籍レビュー風に書きました。


松田武己・著『ひきこもりー当事者と家族の出口』

評価:★☆☆☆☆ (星1つ・・・最低評価)

(レビュータイトル)

「出口」になっていない支援団体の本なので、説得力が無い

著者が運営する「支援団体」に関わった事がない方が読んだら、そこそこ高い評価をつけると思う。なにせ著者はフリーの編集者をしていた事のある人物だし、どう書けば読者の心が掴めるか・本が売れるかという事を心得ているはずだからだ。

しかし、この言わば“引きこもりの観察と考察”本の著者が主催する羊頭狗肉な自称「支援団体」に関わり、口ばかり達者な著者に騙され、ロクな支援も受けれず、ただ無為に時間を過ごし、著者に本の執筆ネタを提供し続けるだけで終わってしまった引きこもりの人達の事を思うと、私は心が痛む。

引きこもりの支援は、“居場所”に来させれば、それで終わりかと言いえば、そうではない。“居場所”に来た後に、具体的にどう社会へ導くのかが重要である。

それなのに世間の人々は、ニュース沙汰になる一部の暴力的な支援団体の存在に囚われて、その点を見落とすから、著者のように“居場所”を開設しただけで何もしない放任主義者を、「心の広い教育者」であるかのように曲解し、その曲解が著者を思いあがらせているのである。

大事なのは“居場所”を作った事実ではなく、“居場所”に来させた後の具体的な支援内容と、その成果である。

残念ながら、“居場所”を作って引きこもりの人が来てさえいれば、それが活動実績と見なされ、“居場所”に来た後の具体的な支援内容や成果は不問で、マスコミ等は好意的に取り上げたりするようだ。

また、著者の団体が何もしないので、引きこもりの本人が自助努力や、よその団体の助力で社会復帰した場合でも、少しでも著者の団体に関わったという履歴があれば、「著者の団体のお蔭で社会復帰できた」というふうに世間の目には映るようだ。

著者が引きこもりの人に対して一見優しく接しているように見えるのは、ナチス強制収容所で子供達に残虐な人体実験を繰り返したドイツ人医師ヨーゼフ・メンゲレが、実験体たる子供達に普段は優しく接していたのと同じ動機である。

「専門家が知識に囚われて出来なかった崇高な実験」(精神科医などの専門家から見たら、“居場所”に参加させるには適当な状態ではない人を、「ウチが受け入れないで何処が受け入れるんだ」等の安っぽいヒューマニズムを唱えて、受け入れる能力がないのにも関わらず“居場所”に来させ、1%の奇跡が起きるのを見守る・・・等、遣りたい放題の実験)に、身を挺して(半ば洗脳されて思考停止の状態ではあるが)協力してくれる引きこもりの人達は、著者にとっては愛しい存在に違いない。それは自分の欲求を満たしてくれる「ロボット」達への歪んだ愛情だ。

しかも、洗脳された引きこもりの彼らは、「支援を受けられる」と思って、交通費自腹で家からノコノコ出向いてきてくれるのだから、著者にとって、こんなに愉快な事はないだろう。

要するに、著者が引きこもりの人達に対して優しく振舞うのは、普段は粗暴な少年が、昆虫を捕まえる時だけは粗暴な振る舞いをやめて、神経を研ぎ澄まして目の前の虫を逃がさないようにするのと同じ事である。

著者の振る舞いは、愛情に裏打ちされた優しさからではなく、観察対象を逃さないための策略なのである。

著者にとって引きこもりの人達は、観察や実験、標本にする昆虫と同レベルの存在なのであろう。

なぜ著者は手段を選ばず、まっしぐらに、そこまでするのか。

著者は自分のウェブサイトのどこかで、自らにアスペルガー障害の傾向があると自慢げに告白している。アスペルガー障害は、近年引きこもり業界で注目を浴びている障害である。そのアスペルガー障害の人間が団体の代表をして社会に適応できているのだから、他のアスペルガー障害の人達も自分を参考にすれば良い、と確信しているようだ。

しかし、むしろアスペルガー障害の傾向により、前述したように著者は虫けらと人間の区別が付けられないように思える。

また、自分が正しいと思ったら、周囲の意見を聞かず、常識を無視して、手段を選ばず前述のような“実験”を強行してしまうのも、アスペルガー障害の傾向のためではないか。

通常、アスペルガー障害的な人は、組織のトップには立ちにくい考えられるが、著者が他人の意見を聞かずに自分本位で組織を運営するため、引きこもりではないボランティアのスタッフが嫌気をもよおして定着せず、組織の中が引きこもりの人ばかりという状況になり、著者は組織のトップに独裁的に居続けることになってしまったのだろう。

ともかく言える事は、組織内で何か問題が起きても、引きこもりの人は受けた被害を表へ訴え出ない傾向があるため、何か問題が起きても非常に発覚しづらいという事だ。

そのような中で、結果的にこの本は、著者に言葉巧みに騙された引きこもりの人達の生き血を吸って成立している、血塗られた本であると私は思う。

著者の団体は、宮沢賢治の【注文の多い料理店】を例に挙げれば、「食べ物を提供してくれると思って入店したら、実は自分が食べ物にされていた」のと同様、

「支援してくれると思って関わったら、実は著者に本のネタを提供するために通っているだけだった」という事である。

あるいは原爆が落とされた広島で、被爆者を治療すると思わせて、治療はせずに傷害データばかり収集していたABCCという米国の機関と、著者の団体は同質であろう。

そういう実態を知ってしまうと、この本を読んで感動など、絶対にできるものではない。

「この本のお蔭で、引きこもりの人に対する理解が社会に広められ、多くの引きこもりの人が助かる。だから、この本へ執筆ネタを提供し、その結果、社会復帰できなかった利用者達は名誉の戦死だ」と思う事を著者が要求してきても、私は絶対に従わない。

著者は、「目の前の人達は救えなかったけれど、この実験・観察データは将来の人の役に立つからいいでしょ」とでも言いたいのだろうか。

人様の人生を何と心得ているのか。

虫けらか何かとでも思っているのか。

「ふざけるな!」と言いたい。

例えアスペルガー障害的な傾向を持っている人物であっても、代表を務めている以上、同情はしないし、責任は追求する。