宝くじ高額当選と比肩する「超・低成功率」不登校情報センターの支援

上記のタイトルは決して筆者の嫌味ではありません。何を隠そう、不登校情報センター公式ブログ「引きこもり居場所便り」にハッキリと、そう書かれているからです。

投稿日時: 2012年7月14日
それでも手がかりを探し求める
高年齢引きこもりへの対応(その7)  密かにこう考えている人がいます。引きこもっている当事者も家族も特に何かをするわけではない。けれども周囲の環境がきわめて好都合に変わって、当事者が何の抵抗もなく動き始め、出かけていって知人関係ができる社会参加の手がかりを得るのです。
ちょうど宝くじで高額等級が当たるようなものです。それでも最低限は宝くじを入手しなくてはなりません。その宝くじを買う行為に当たるものは何かを考えてみることもあります。確からしいものはまだわかりません。

まずサブタイトル「高年齢引きこもりへの対応」ですが、関係機関の内部資料のようなタイトルで、とても引きこもりの本人・家族の閲覧が想定される "支援機関" の公式ブログとは思えない書き方です。こういう所からも、不登校情報センターおよび理事長・松田氏の支援者に不向きな資質が垣間見えるのですが、当事者や家族は「支援者絶対善人説」のバイアスがかかっているので大抵見落とすようです。
次に文章上の悪質な技法を指摘すると、最初に「密かにこう考えている人がいます」と書いて「これは私・松田の意見ではない」と目を逸らせておきながら、「ちょうど宝くじで高額等級が当たるようなものです」と、後付でちゃっかり自分の意見を述べて、文章の主体を曖昧にしています。反論があれば「あれは私の意見じゃない」と言い逃れる逃げ口を作っています。
確かに、「高齢ひきこもりの本人・家族が何もしなくとも周囲の環境が都合よく変わってくれて自然と社会復帰できる可能性」は極めて低く、その確率が宝くじの高額当選並という表現は分かります。問題は、「それでも最低限は宝くじを入手しなくてはなりません」などと、不自然に宝くじの話に持って行く点です。
いやいや、「本人・家族が何もしなくとも」と書いているのに、どうして「その宝くじを買う行為に当たるものは何かを考えてみる」必要があるのか?
私に言わせれば、「自然に身を任せる主義なら、宝くじなど買わなくても、ただ生きているだけでよい、どんなに絶望に襲われても自殺という取り返しのつかない洗濯さえしなければよい」だけの話です。
その宝くじを買う行為に当たるものは何かを考えてみることもあります」は、その奇跡過ぎる偶然に、ど素人が法則性を見い出そうとする、非常に無謀で滑稽な行為です。非常に非科学的・オカルト的で、不登校情報センターが、○○セラピー等の怪しい代替療法の紹介に執心するのも頷けます。また、極めて確率が低く実証性も無いのに「俺ら支援者が何もしなくても引きこもりが勝手に解決する仕組みが分かったら仕事の手を抜けて超ラッキー!」との邪さや、「人事を尽くして天命を待つ」とは対極の「全く努力をせずに神頼み」のような醜さを感じます。
〜確からしいものはまだわかりません」・・・いくら考えても未来永劫分からないゆえ時間の無駄で、そういう行為を "支援活動" として見せびらかすために文章化するのはマッチポンプですし、仮に奇跡的に奇跡の仕組みが分かっても「成功率が宝くじの高額当選並の低さの解決方法」に、本人の自己決定ならいざ知らず、”支援団体”が人々をそこに誘導する意義が全く理解できません。
さらには、松田氏個人が"支援者"として考えをめぐらすというより、読者を自身の思惑へ誘導しているとも解釈できます。
要するに「宝くじに当選するには宝くじを入手しなければならないのと同様、社会復帰のためには不登校情報センターのような支援団体の手を借りなければならない」と読者に思わせたいのが見え見えです。当初の会費500円から諸所の経緯で今は30倍の1万5千円・・・いくら資本主義・金儲け否定論者でも、そうやって煽らずには新規獲得や会員数維持はできないのでしょう。
思考力・読解力が十分にあれば矛盾に気付き「宝くじに当選するには宝くじを入手しなければならないのと同様、社会復帰のためには不登校情報センターのような支援団体の手を借りなければならない」との思考には誘導されないので、松田理事長は「不登校・引きこもりの当事者・家族は簡単に誘導される」と舐めきって書いているのでしょう。
そうでなければ、あのような論点矛盾の文章を「出版・編集業界の経験者」が書く理由が無いのです。
それ以前に「引きこもり当事者の社会復帰の可能性は、私共のような支援団体を利用しても、宝くじの高額当選程度の低い確率でしかない」とも解釈できる、あけすけで無神経な論調である時点で、これは相当に引きこもり当事者と家族が舐められている証拠と言えるでしょう。
実際、私の知る不登校情報センターでは大卒の方が多かったですが、何故か皆さん、すんなり松田理事長に丸め込まれるのです。
あのオウム真理教も、教祖がアレでも高学歴の信者が多かった事と、何か共通点でもあるのかもしれません。

それにしても、
「宝くじに当たるようなもの」と書いていれば、年に数回発売されマスコミも毎度取り上げ風物詩と化している当選金額の最大値が大きい「ジャンボ宝くじ」の最下位等級(当選金300円・袋入り10枚1セットで買えば必ず当たるので当選確率10%で、恐らく宝くじで最も当たりやすい)という言い逃れをしてきそうです。
はぐらかしの大得意な理事長・松田氏のことですから「1日1ドル以下で暮らしている貧困層が世界に10億人以上もいるから300円も大金」などと言ってくるでしょう。
皆さん、騙されないで下さい。ここは日本です。まず物価・貨幣価値が違いますし、日本では1日100円〜300円で経済的に自立した生活などできません(年金だけでは暮らせない、と言われる国民年金ですら満額支給なら日割りで二千円以上です)
そもそも宝くじ1枚が300円ですから、仮に末等300円が当たっても「プラスマイナスゼロ」です。
このように「入口は似ているが全く違う事柄を、自分は絶対に言い負かされないという気迫に裏打ちされた文章力・発言力を用いてゴリ押す」のが松田氏のやり口です、ご注意下さい。
なお、自分よりも格下だと舐めていた相手が予想外に利口で言い負かされそうになった場合、急に「はいはい、私の負けでいいです」とニヤついて、相手をイラッとさせ、戦意の喪失と再戦の防止を図る手の込みようです。

宝くじの末等の当選確率10%と同じで「10人支援して1人しか成功しないのは設立後10年以上も経っている "支援団体" としてどうなのか」と思う上に、ぐっと当選確率の低い「ちょうど宝くじで高額等級が当たるようなものです」のメカニズムを解明して支援に取り入れたい旨が文章から読み取れます。そんな低い確率を研究して取り入れて何の意味があるのでしょうか?

ところで宝くじの高額等級の定義とは何でしょうか。
いつかTVで見たアニメ『クレヨンしんちゃん』で展開された会話で「1等1億円てどれくらい?」「パパの給料20年分くらいよ」という母子のやり取りがあり、「普通にサラリーマンしていれば生涯年収は数億円に達する」という事実を再認識させられショックを受け、
「ホームレスにならずに寿命まで食いつなぐには現実的にかなりのお金が必要」と感じている私からすれば100万円でも少なく感じるほどですが、
宝くじ公式ホームページによれば、当選金が100万円を超える宝くじ券の場合、銀行での受け取りに際し身分証や印鑑も必要になりますので、この当選金100万円のラインを高額当選と定義づけるのが公平でしょう。
これを元に「100万円超の高額当選の確率」を、有名な宝くじで見てみましょう。

ジャンボ宝くじ(1〜6等まで ※2012年年末の場合)
3等:100万円・・・約10万分の1

ミニロト(1〜4等まで)
2等:約230万円〜1.5万円(抽選後に確定)・・・約3万4千分の1

●ロト6(1〜5等まで)
3等:約140万円〜13万円(抽選後に確定)・・・約2万8千分の1

●ロト7(1〜6等まで)
3等:約100万円(抽選後に確定)・・・約5万2500分の1

上記のように、宝くじ公式ホームページより導き出した高額当選金100万円の当たる確立は、ざっと数万〜十万分の1。
ジャンボ宝くじなら、10枚入りの袋を1万袋、3千万円分買うとようやく3等100万円が当たる計算です。皮肉にも1袋買えば必ず当たる6等300円の当選合計が1万枚・300万円に達し、お目当ての100万円を上回りますが勿論確率的には大損な上に、資金の問題だけでなく、人海戦術をやらないと物理的に買うのも当落を確かめるのも困難です。
就職難の時代で百社以上の採用面接を受けた人の話を聞きますが、流石に1万社の面接を受ける事は物理的に不可能です。
日本の交通事故による死亡者数は年間5000人ですので単純に人口で割れば、交通事故で死亡する確率は24000分の1で、種類にもよりますが宝くじで10万円が当たる確率よりも高くジャンボ宝くじなら交通事故で死亡する確率はその約4倍以上です。
憤ろしい事ですが不登校情報センターではより身近といえる自殺問題では、日本の自殺者が年間3万人ですので人口割で4000分の1で、宝くじで10万円が当たる確率の7倍〜25倍です。
不登校情報センターの支援をあてにせざるをえないような方は、一般平均よりも外出しないでしょうから交通事故に遭う確率は上記よりも低いかもしれませんが、逆に自殺は自室でも可能で、動機も十分ですから自殺する可能性は上記の一般平均よりも高いはずです。
再度書きますが、不登校情報センター理事長・松田氏曰く「ちょうど宝くじで高額等級が当たるようなもの」で、その極めて低い確率を "支援" に活かしたいようです。

また宝くじは「公営くじ」と言い、「サッカーくじ」(別名スポーツ振興くじ文科省が胴元なので物議を醸している)と同類で、競輪、競馬等の公営ギャンブルの一種に違いは無いのですが、引きこもり支援と、その成功率と解決法をギャンブルになぞらえる不登校情報センター理事長・松田氏の見識が問われます。

もっとも、日本の宝くじの「払い戻し率」(売り上げから経費と胴元の収益を差し引いた、購入者の当選金に充当する率)は、他の公営ギャンブルよりも低く(法律で5割未満に制限されています)、他の公営ギャンブルのファンからは宝くじをぼったくりと蔑視する向きもありますが、通所者の手柄を横取りして自身の実績としている不登校情報センター理事長・松田氏が、自身の活動について宝くじを例え話に用いるのは必然で「言い得て妙」でしょう。
逆に、他の公営ギャンブルは「予想勝負」の余地が有り払い戻し率も高い(お馬さんはかつて8割だったとか)為か、深入りして借金漬け、ギャンブル依存症の被害が知られています。いっぽう宝くじは「予想勝負」の余地が少なく払い戻し率も低く、依存性が低い為か被害報告は目立たないようですが、困ったことに、自らを宝くじになぞらえた不登校情報センターでは、「ぼったくり」であるにも関わらず依存症になってしまう方が多いようで、これが不登校情報センターを存続させている理由の一つでしょう。

これなら、不登校情報センターよりも安く通える良質な支援団体を見つけ、不登校情報センターへ払う会費(任意団体時代は無料でしたが、NPO化直後は月500円、現在は月15,000円と高騰し価格面での優位性は減り、おまけに「支援の成果が出る確率は宝くじ高額当選と同じレベル」)や浮いた交通費の差額の一部をコツコツと宝くじの購入に当てたほうがマシでは?という気さえしてきます(宝くじを堂々と買えるのは未成年ではない "成人ひきこもり" の数少ない特権です。法的には未成年でも購入できるそうですが「未成年者には売れません」と書いている売り場をよく見かけます。正社員の生涯年収である数億円は稼げないであろうと考えている方の一発逆転の方法ではあります。
なお、雑誌等で見かける開運アイテムの宣伝広告では「親が死んで悲観しているときに友達が一緒に宝くじを買わないかと誘ってくれて買ったら当たった」等と書いてありますが、「人間には寿命がある以上、自分が先立たない限り親との死別は100%避けられない」「一緒に宝くじを買った友人との関係は壊れなかったの?」等々、ツッコミどころが満載な上に「※効果には個人差があります」ですので、仮に手頃だからと開運アイテムに手を出すと業者間の「カモ名簿」に個人情報が載ってしまい、その後様々な勧誘に遭う可能性も考えられます。開運と深いつながりがあるとされる風水では「家をよく掃除する」等、お金が掛からず開運以前に生活上必要な行為もありますので、その辺にとどめておいたほうがよいでしょう)。

保護者の死亡でホームレスになった場合、拾い銭で買ったり、偶然拾った1枚が極めて運良く高額当選しても、身分を証明できるものが無ければ当選金を受け取ることができません(期限切れの保険証・免許証類は無意味です)。ホームレス支援の慈善団体に駆け込み無償譲渡して受け取り代行を依頼してキャッシュバックして貰う方法も考えられますが、貧困ビジネスを展開している悪徳団体は論外としても、宝くじ当選金は非課税であるものの、ホームレスを脱せるほどの大金をバックして貰うには贈与税が掛かる可能性があり、「大金を目にしたら善人でも人が変わってしまう」とも言われますので・・・ホームレス化した後の人生はそういう意味でも大変です。

余談ですが、東京某所に「貧乏神を追い出してくれる、怪しくない伝統的な宗教法人が運営するスピリチュアルなスポット」があります。
無料で利用でき、不登校情報センターへ行くついでに途中下車でき、TVにも紹介されていたので行ってみた事があります。
1回目は無人でした。
その後、懸賞で5千円が当たりました。
2回目はたまたま管理者がいらして、人当たりの良い、感じの良い方だったのですが、
私が「5千円当たりました」と話したら、
管理者の目の色が変わり「早速ご利益が!」と。
とても違和感を覚えました。
5千円当選の1回だけで貧乏神を追い出したと言い切るのは「針小棒大」「宗教家として無責任」ではないか?(実際、その後も私は中間層にすらになっていません。もし私が管理者なら「素晴らしいです、その調子です、これからも一緒に貧乏神を追い出しましょう」と相手に希望を与えWinWinに持って行きますが、そういう機転ごときでは履歴書の空白を埋めることができないのが日本社会です)
私は、この体験から、スピリチュアルや宗教の問題の一端を垣間見ました。
良い事があったら「ご利益だ」(宗教側・セラピスト側の手柄)。
悪い事があったら「信心が足りない」(信者・クライアントの不手際・努力不足)。

宗教や占い・スピリチュアルの常套句「信じる者は救われる」は、非常に恐ろしい言葉です。
さらに、この恐ろしい構図(良い事は団体の手柄にして、悪いことはクライアントのせいにする)は、不登校・引きこもり支援団体にも当てはまります。
老舗と言われる不登校・引きこもり支援団体が「カルト宗教」のように変質してしまう事と無関係ではないでしょう。

神様・仏様におかれましては、「信じる者しか救ってやらない」ではなく、「渡る世間は鬼ばかり。この世に神も仏も無し」と絶望し自殺を考えている方にこそ御手を差し伸べて下さい。