不登校情報センター・松田理事長の戦術は「論破 & はぐらかし」

「政治家は、相手を論破すべき存在ではなく、相手を説得すべき存在。橋下さんは論破しちゃうタイプ」。
橋下徹氏がぶちあげた「大阪都構想」を問う住民投票が終わった翌日、政治分野のコメンテーターがテレビで仰っていました。
「論破と説得」の違い。とても新鮮な視点を得られました。
橋下徹氏による論破・・・そういえば、公立高校の授業料に関して学生が橋下徹氏に直接要望を出した際、橋下徹氏は学生が泣き出すほど論破して見せました。
学生の発言に、不自然な点(大阪公立高の授業料の話なのに、なぜか軍事費の話題に飛ぶ等、学生の背後にいる大人達が特定の政治思想を植えつけているように見える)も見受けられた為、学生の側もネット上で非難されましたが、「何も子供相手に泣かさなくても」という同情も寄せられたように思います。

論破・・・そういえば何やら論破され続けた身覚えがあります。
そうです。不登校情報センター・松田理事長にです。
不登校情報センター・松田理事長の手法は「論破」と「はぐらかし」でした。
不登校情報センターにおいて、イエスマンで居続けるなら、そのような思いはしなくて済むのですが、
何か松田理事長や不登校情報センターにとって都合の悪い質問や疑問をぶつけた場合、
松田理事長は先ず相手を「論破」、それでも相手が引き下がらない場合は「はぐらかし」を行うのです。
納得のいく説得を受けたは覚えはありませんし、そういう能力があるなら防げたであろう最悪の支援結果が幾つか、人様の身に起こってしまっています。

なぜ「論破」と「はぐらかし」なのか。
それは、不登校情報センターや理事長・松田氏に、相手を説得する能力、説得すべき信念など特に持ち合わせていない、空っぽだからです。
政治家には、信念が必要であり、やるべき仕事(公約など)があります。
不登校・引きこもり支援者と政治家は違う」と理事長・松田氏は言うでしょうが、私は共通する部分もあると思います、一社会人として、人々の奉仕者として。
不登校・引きこもり支援者には教育者の視点も必要であり、信念無き教師はサラリーマン教師などと揶揄されます(信念を履き違えて、己のサディズムを充足させる為に体罰などにはしられるのも困りますが)
「空っぽ」というのは、不登校情報センター理事長・松田氏の「出たとこ勝負の支援法」という言葉に凝縮されています。
「出たとこ勝負の支援法」・・・その人に合わせた柔軟な支援法の設定が出来るのではなく、常に空っぽだから「出たとこ勝負」にしか、帰結せざるを得ないのです。
支援活動を始めたばかりならいざ知らず、ずっと十数年以上も「出たとこ勝負」のままです。ずっといつも空っぽで、成り行き任せ。
この醜態を「相手を説得するのは余計なお世話だ」と正当化し、中身が空っぽである事を誤魔化し続けているのです。

大雑把に表現すれば、ある種の果物選びと、支援団体選びは似ています。実際に手に取って、たたいてみる。
具体的に支援団体の場合は、ホームページの熟読や、見学、実際に通ってみた上で気付いた事から、いじわるな質問をしてみる。
その回答内容によって、支援団体や主催者に「中身が有るか無いか」が分かるというものです。
「桃などの果物は触っただけで傷むから・・・」という、奥ゆかしく優しい不登校・引きこもり当事者の心遣いに甘えて、否、その気持ちに付け込んでのさばる、困った支援団体が存在するのも実情です。
支援団体は断じて桃ではありませんから、大いに触ったり、たたいたりして良いと思います。
美味しさが保障されている高級メロンは別として、それに比べて安価とはいえ、メロンなど1個500円以上する割高な果物は、常識の範囲内で品定めしてよいのです。
学校法人や、公的資格を持った専門家が一定の基準を満たしているのに対して、素人がやっている支援団体が玉石混交なのは想像に難くないでしょう。
NPO法人格は、支援の質や実績を保証するものではなく、「申請時の書類に不備が無かった」「毎年の書類提出を上手いこと書いて欠かしていない」というレベルの話でしかありません。
さらに不登校・引きこもりの支援団体の場合、一般よりも自殺リスクの高い要支援者の立場を考えれば、慎重に選ぶのは当然です。
メロン選びでハズレ品を買った場合、「自分以外の誰かが美味しいものを食べられたのだからいいや」と、心穏やかに前向きに解釈するのは個人の自由ですが、
そのままでは、いつまでもハズレ品を買うばかりです。
ましてや、不登校・引きこもりの支援団体選びをテキトーに行えば、全て自分の将来に跳ね返ってきます。
さらに悪いことに、貴方様が、変に気を遣って不味いものを無理をして「美味しい」と評価すれば、貴方以外にも犠牲者を増やすことにも繋がってしまいます。

支援者を気取りながら、立場の弱い者に対して「論破」と「はぐらかし」を堂々と行う。
支援者に悪い人は居るはずがない、という、性善説的な思い込みを持たれている人からすると、「その発想は無かった」「想定外だ」と面食らうことでしょう。
ですが、そういう手口が確実に存在するという事を、心の隅にメモしておく行為は、決して損ではないと思います。