嘉門達夫氏の手法を悪用する不登校情報センター及び「元編集者」理事長の松田氏

嘉門達夫氏は、おちゃらけた歌詞の楽曲を作るコメディアン的音楽家の老舗・大御所で、
一定年齢以上の方なら聴いた事があるであろう「替え歌メドレー」シリーズは彼の代表作です。
「替え歌メドレー」は、メドレーの名の通り、ある歌の一曲丸ごとの替え歌ではなく、曲のサビや、数フレーズの替え歌を、テンポよく繋ぎ合わせたものです。このテンポの良さは、たびたび「畳み掛けるような」と表現され、出版業界で言えば「編集が上手い」に相当する褒め言葉でしょう。

「面白い替え歌を量産する嘉門達夫氏の能力・才能は凄い」と思われる方も多いでしょうし、実際に能力・才能はおありだと思います。

しかし、以下の点は嘉門達夫氏ご本人もラジオ番組等でタネ明かしをされているのですが、
替え歌の歌詞は全て嘉門達夫氏が考えたものではなく、全体の20〜30%は他人が考えた歌詞」だそうです。
しかし、その「20〜30%を考えた方々」が、表に出ることは、ほとんど無いように思います。

ラクリはこうです。
嘉門達夫氏の楽曲の歌詞の中で、「嘉門達夫氏ご本人以外が考えた全体の20〜30%の部分」は、
かつては、嘉門達夫氏自身がパーソナリティー・DJを務めたラジオ番組の「替え歌」コーナー等に投稿された葉書の内容で、
現在では、ラジオ番組に代わり、インターネットのSNSが、嘉門達夫氏の歌詞ネタの採取先となっているそうです。
熱心なファンが「こんな替え歌、ネタを考えてみました!(使ってください!)」と、嘉門達夫氏に歌詞やアイディアを提供し、それを大幅に採用した例もあるそうです。

嘉門達夫氏は、ゲストに招かれたラジオ番組で、更にこう述べています。

「才能がある人はいっぱい居る。でも、発表しない。なら俺が発表してやろうかと」。

上記は「意図的に発表しない人」ばかりではなく「意に反して発表できない人」も多い、と言うほうが正確でしょう。
「意に反して発表できない」というのは、大半の人は嘉門達夫氏のようなスキル、知名度、コネが無いため、仮にコンサートを開いても誰も人が来ない、ブログなどに書いても全く世間の話題にならずに終わってしまうという事です。
それ以前に「面白い歌詞を考えるのは好きだが、たとえペンネームでも目立ちたくない」という一般人も居るでしょう。

一見すると、共存共栄、互恵関係、利害の一致、であるかに見えるのですが、
嘉門達夫氏がそれでTVやラジオに出演できるスターになってしまう、ご飯を食べているという点を考えると、釈然としない部分もあります。
昔、聴いた事のある嘉門達夫氏のラジオ番組において、「投稿ネタの著作権は自動的に嘉門達夫に所属する事に同意した上で投稿して下さい」というご注意がアナウンスされた記憶は有りませんし、
インターネットにおいても、「投稿した時点で、投稿内容の著作権は放棄したものと見做し、嘉門達夫が自由にこれを使用する事に同意したものと見做します」といった
但し書きも一見して見当たりません。

もっとも、律儀に上記のような宣言してしまうと「嘉門達夫氏のカリスマ性が薄れてしまう」リスクがあり、芸能マネジメントの戦略上、好ましくないのは確かです。
嘉門達夫氏にとっては当然の手法と言えるかもしれませんが、だからといって、「『得体の知れないカリスマ・キャラ』を演出する意味合いもあるのでしょうが、終始サングラスを着用した無表情の顔で全てを隠し、よくよく観察するとネタを提供してくれた一般人に対する愛情や敬意が感じられない」というのは残念なところです。

もっとも、「派手な衣装とパフォーマンスで常におどけているが、じっくり観察してみると無表情で、その無表情さはときに不気味にさえ見えるピエロ(しばしばピエロはホラー洋画で恐怖の対象として描かれる)」とも相通じるものがあり、その不気味さや毒味も、嘉門達夫氏の持ち味とも言えるかもしれません。


ただ、人間の自我や自己肯定感について深く考えた事のある者としては、ネタを提供するのに省みられない事をよしとする熱心な嘉門達夫ファンの猛烈信徒的な心理は、素直に理解できない点はあります。搾取されている実感が無い、自我や自己肯定感が無いか乏しいのではないか、と。
ネット上には「ハガキ職人のネタからのパクリ」「ネタ乞食」などという揶揄も書かれています。
しかし、これは、引きこもり当事者と違って経済的に自立している一般社会人からすれば、「自分の考えたネタを半ば勝手に使われた上に見返りも無い」ように見える事象に対しても、意外と不快には感じないものかもしれません。
サラリーマン等の、地味だが芸能人に比べて安定した職業の方が、嘉門達夫氏のようなニッチな芸能人を支えてあげている市民パトロン、安定と引き換えに平凡な一般市民になった人々を芸能の舞台に引っ張りあげてくれる存在、という解釈も出来るからです。彼ら一般人からネタを提供してもらった上でも、そこいらのサラリーマンより稼げるか否かは嘉門達夫氏の「編集・プロデュース能力」次第とも言えます。


ひるがえって、引きこもり当事者と、不登校情報センター及び理事長・松田氏との関係を考えてみましょう。
引きこもり当事者は、嘉門達夫氏を支えている一般社会人とは違い、経済的にも精神的にも全く不安定です。そういう人達から、不登校情報センター及び理事長・松田氏は様々な「ネタ」を調達し、その過程で引きこもり当事者の貴重な時間を奪い、生活の糧や、組織運営の為に利用しているわけですが、引きこもり当事者には何の見返りも、もたらしません。
嘉門達夫氏とネタ提供者との関係と比べてみても、不登校情報センター及び理事長・松田氏の例では「一方的に得をする側と、一方的に損をする側がハッキリ分かれている」という、完全に不当な搾取状態にあると言えるでしょう。

しかし、経済的自立の未経験や、社会経験の不足等により、自身が不登校情報センター及び理事長・松田氏に提供した時間や体験談等を、「他の有効な使い道」や「もし労働に充てた場合に生じる価値」と比較・分析できなかったり、「誰かが自分を助けてくれる、支援者を名乗る人に悪人は絶対居ない」と思い込んでいる引きこもり当事者は、この構図に気づき難いと思われます。
そこに漬け込んでいる不登校情報センター及び理事長・松田氏は非常に罪深く、嘉門達夫氏を「ハガキ職人のネタからのパクリ」「ネタ乞食」などという揶揄している人々も「不登校情報センター及び理事長・松田氏に比べれば嘉門達夫氏は充分マトモ」と思われることでしょう。
何より、不登校情報センター及び理事長・松田氏は人々から「ちょうだい、ちょうだい」と無心する「乞食」(実際の嘉門達夫氏のラジオ番組に照らせば「お葉書を募集しています」というフレーズ)というよりは、
言葉巧みに、引きこもり当事者が自らの人生や人命を賭して生み出した体験談等を「詐取」ないしは「強奪」する「悪漢」と表現したほうが当てはまる気もします。

【勝手に文章を利用された引きこもり当事者のケース】
不登校情報センターサイト内に「同性愛、ひきこもり、そして自立」と言うタイトルで僕のメールが掲載される

泥棒は、金持ち(強者)から盗もうが、貧乏人(弱者)から盗もうが、同じ泥棒ですが、
貧乏人(弱者)から盗むほうが、仮に刑法上の裁きは同じでも、より無慈悲で悪質という気がします。
金持ちの家は警備会社と契約している等、防犯対策が整っている場合も多いのに対し、
貧乏人の家は警備会社と契約できるだけの経済的な余裕も無いため、侵入は相対的に容易でしょう。
窃盗1回当たりで盗める単価が低くて効率が悪いと考え、貧乏人の家は狙わない泥棒もいるでしょうが、「塵も積もれば山となる」と考え、侵入の容易な貧乏人の家ばかりを狙う泥棒も居るかもしれません。

不登校情報センター及び理事長・松田氏は後者の「弱者・貧乏人ばかりを狙うタイプ」に性質が近いと言えるでしょう。
何より「時間泥棒」や「未来の可能性を盗むエセ支援」は、犯罪として立証するのは困難で、いくらやっても逮捕されないのが現実です。
貴重な時間や、未来の可能性を盗まれないよう、引きこもり当事者の側が「防犯意識」を高め自衛するほかありません。

この頃、夕方NHKのTVを見ると「ストップ詐欺被害」「私は騙されない」とのスローガンのもと、「中高年を狙った振り込め詐欺被害の防止」を啓蒙する番組が、毎回新しい被害事例の紹介と、その対策を交えつつしつ放送されています。

振り込め詐欺グループが心理学を悪用した上で次々と新手口を繰り出してくるのと同じように、引きこもり当事者もまた、引きこもり当事者・家族を研究した上で当事者および家族の無知・弱点・盲点を突いた「かなりイイカゲン・出鱈目な事をしても団体が潰れない運営のコツ」を掴んでしまった「悪質な支援団体」「エセ支援団体」から身を守る為に、振り込め詐欺に対するのと同じような心構えでの「防犯意識」の向上が今、求められているのではないでしょうか?


ともかく、引きこもり当事者よりもメンタル面で安定している一般社会人ですら、何の見返りもないのに嘉門達夫氏にネタを喜んで提供するくらいなのですから、
メンタル面が不安定な引きこもり当事者が、依存心も手伝って不登校情報センター及び理事長・松田氏に喜んでネタを提供する事が起きても全く不思議ではないわけです。
心理学的な仕組みの詳細は分かりませんが、ともかく、そういう事なのです。
この事実を正面から受け止めた上で、対策するほかにありません。

例えば、NHKでやっている「ケータイ大喜利」という番組があります。こちらは全国ネットで、ペンネーム制です。番組で投稿が採用されるのは狭き門なのでしょうが、「NHKの番組に採用された」「文章表現力や、ほどよいユーモアセンスがある」という事で、ある意味特技として履歴書の自己アピール欄に書けるかも知れません。嘉門達夫氏の歌詞・ネタや、不登校情報センター及び理事長・松田氏の支援実績「盛り盛り」アピール文章に採用されて「※ 完全無名の消耗部品として使い捨てられて終わる」のとは大きな違いです。「世の中には、いろいろな場所がある」という事を意識し、自分の活躍場所や居場所を自分にとって不利な方向へ限定し搾取されない為にも、広い視野を持ち、常にアンテナを張り巡らす事を心がける必要があるのではないでしょうか。



嘉門達夫のナリキン投稿天国」という、従来のネタ投稿型ラジオ番組をWebに移行したような形のGyaOで配信していたネットTVでは、「面白い投稿をした人には換金できるポイントを付与」「商用楽曲に採用した場合は、歌詞カードに記載し、印税も分配」というフェアな方式が採用されていたそうです。

この点を見れば、嘉門達夫氏がラジオで発言された

「才能がある人はいっぱい居る。でも、発表しない。なら俺が発表してやろうかと」。

という言葉が非常に頼もしく、重みのあるものになります。

むしろ、不登校情報センター理事長の松田氏が「実際的には鳴かず飛ばず」で有耶無耶にしている「仕事おこし事業」と似たような事業を、「才能はあるのにお金には出来ない素人・一般人(あるいは引きこもり当事者も投稿していたかもしれない)にビジネスチャンスを与えている」という形で、嘉門達夫氏はきちんと実現させた事になります。

この点からも、「『クレクレ』とネタを募集するが、ちゃんとネタ考案者の利益を守る嘉門達夫氏」と、
「支援の名の下、ネタ提供者の利益や尊厳を徹底的に軽視・無視する不登校情報センター理事長の松田氏」という、
同じ「ネタ募集者・ネタ蒐集者」でくくられる存在でありながら、両者の違いは明白です。

まさしく「嘉門達夫氏の手法を悪用する不登校情報センター及び理事長の松田氏」という事です。



【追記】嘉門達夫氏に敬意を表して、ネット上で見つけた不登校情報センター引きこもり支援業界の替え歌を1つ(対象としている層が非常に狭いので、嘉門達夫氏の番組では採用されないでしょうが・・・)
『それが大事』(大事MANブラザーズバンド・1991年)オリコン週間1位・年間4位獲得曲
https://twitter.com/FJC_injureds/status/656848823906516992
「♪居場所に行くこと、居場所に行くこと、居場所に行くこと、行き続けること、引きこもりにぃ〜成ったとき、それがぁ〜、一番大事〜」
※居場所しか支援手段が提供されない不登校情報センターの場合「だいじ」ではなく「おおごと」の結末が待っていたり・・・するとか、しないとか。