「自殺幇助肯定」ブログを紹介する不登校情報センターが引きこもり支援を行う滑稽さ

前回の投稿タイトル「未婚独身ひきこもりの自殺を幇助しかねない」を何となく縮めて「ひきこもり 自殺幇助」でネット検索した結果、
くしくも不登校情報センターが借りているレンタルサーバー内に、不登校情報センターが率先して引きこもり当事者に書かせているブログの1つである「高齢ひきこもり」の中の「生の強制。」と題するページに行きつきました。
※注)「せいのきょうせい」と読む。このブログ主様は引きこもり当事者にしては珍しく恋人が居らっしゃるのだが、その点を踏まえて「なまのきょうせい」「なまをきょうせい」と読むと思わず「DV男」と間違えて110番通報しそうになるので気をつけられたし。

当該ブログ「高齢ひきこもり」内の「生の強制。」と題する投稿文の末尾には

「生きていたくない人は、本人の希望によって、苦痛なく死ぬことができる。そんな世の中が来ることを、心から願っている。」

と記されています。

当該ブログ記事は不登校情報センター代表・松田氏が執筆したものではありません。しかし、当該ブログ「高齢ひきこもり」は、不登校情報センター代表・松田氏が不特定多数の引きこり当事者たちに「ブログを書きませんか?」と、けしかけて書かせているブログの1つです。
しかも当該ブログ「高齢ひきこもり」は、不登校情報センターが借りているレンタルサーバー内に作られたブログページであり、開設が簡単ゆえ利用者も多い「ヤフーブログ」等の大手IT企業の無料ブログを利用しているものではありません。IT企業の無料ブログ利用しているならば、記事内容の管理責任の一端は無料ブログの提供会社にあるとも言えますが、当該ブログ「高齢ひきこもり」は、完全に不登校情報センターの管理下に有ります。
これは不登校情報センターが当該ブログ記事の掲載許可を出しているのであり、つまり不登校情報センターの支援活動指針に照らせば削除対象とはならない投稿であり、不登校情報センターも当該ブログの記事に何らの異議は有さないものと解釈できます。

自殺、安楽死尊厳死に関する是非を問う以前に、
「自殺、安楽死尊厳死」を肯定する内容のみが書かれたブログ・ページ(検索結果によっては「自殺、安楽死尊厳死」を肯定するページのみが表示されてしまう)の掲載を許可している団体が、自殺リスクが一般層よりも高いと言われる引きこもり当事者の支援を行っている事に、大いなる矛盾と、大いなる危険性を感じずにはいられません。
この状態は、ブログ「高齢ひきこもり」の執筆者氏のみならず、不登校情報センターが「自殺、安楽死尊厳死」を肯定していると受け取れます。「単にブログの場所を貸しているだけで、本人が何を書こうが自由」という弁解は通らないでしょう。
不登校・引きこもり支援とは無関係でNPOでもない、どこかのIT企業のレンタルブログにでも書いている場合なら別ですが、それでも不登校情報センターと相互リンクをする場合は完全に無関係とは言い切れないでしょう。
ましてや、「高齢ひきこもり」執筆者氏は、不登校情報センターの一員として支援目的の「文通ボランティア」をされているので、単に不登校情報センターと縁遠い者にブログ・スペースを貸してあげているだけだから「何がブログに書かれていようとも、その内容と不登校情報センターは一切関係ありません」という弁解は通りません。
二条淳也・文通ボランティア
さらに、ブログ「高齢ひきこもり」には、グーグルのクリック広告が張られています。もしそのアカウントが不登校情報センターのもので、広告収益がいったん不登校情報センターに入っているのなら、「単にブログの場所を貸しているだけで、本人が何を書こうが自由」という弁解はなおさら通りません。思想面にとどまらず、経済面においても、ブログ「高齢ひきこもり」と不登校情報センターは「一体不可分」の関係性が生じるわけですから。
なお、グーグル等で検索すると、「高齢ひきこもり」ブログは以下のように検索結果に表示されます。
「高齢ひきこもり-不登校情報センター」と。

この現状からして、「不登校情報センターは、単にブログの場所を貸しているだけであって、ブログ執筆者が何を書こうが思想信条の自由であり、不登校情報センターの意向・活動指針と、ブログ「高齢ひきこもり」の内容に密接な関連は全く有りません」と言い切れるものでしょうか? また、「不登校情報センターが、ブログ「高齢ひきこもり」の内容を監督・管理する謂れは全くありません」と言い切れるものでしょうか?


私は自殺肯定論者ではありませんが、あえて自殺肯定論に譲歩するなら、「自殺という結論を急がず、とりあえず幸福になれる方法を探しながら生きてみて、色々試したけれども、それでもどうしても幸福を得られないのなら、自殺を考えるのは、それからでも遅くは無い」と思います。(…と他人には言えても自分でそれを実行できるかは怪しいものですが)
ブログ「高齢ひきこもり」執筆者氏が、辛うじてパートタイム労働者になり、「引きこもりを脱してみたけど幸福を得られなかった。結局無駄な努力と我慢でしかなかったから社会復帰の経験者として自殺に賛成する」とブログ執筆者氏個人が内心でどう思おうが自由だとは思いますが、その「自殺に賛成論」を不特定多数が目撃するネット上に流布する事は、精神的に脆い人々を不本意に自殺に誘導する懸念があるので倫理上問題があるかと思われます。

当該ブログ主氏に言いたいのは
(※直接コメント欄に書けないのは、コメント拒否に留まらずドメイン内全ページの閲覧ブロック=まるで中国共産党の如き不登校情報センターによる卑怯な情報統制・言論圧殺を回避する為です。不登校情報センターに赤旗が置いてあったのも道理です。せいぜい赤旗不登校情報センター運営の手引きにでもしているのでしょうか?)
「貴方が『本当の本当に死にたい』のなら、どうかひっそり貴方1人で不言執行すべき。ブログ執筆を通じて「死にたい教の仲間※」を集めて他人を道連れにする感じになるのは、なんだか“1人で死ぬのが怖い”みたいで非常に見苦しく、甚だ迷惑なのでやめて。仮に『死ぬのは自由』が本心ではないネタ発言であっても、不特定多数かつ精神年齢・心身の健康状態も様々な人が見るネット上に公開すると、真に受ける人が居ないとも限らないので
※実際にブログ主氏の「死ぬのは自由」に賛同する意見コメントが思いのほか多いので本当に死にたい教が形成されるかもしれませんし、検索でそのようなブログに来る、自我が脆く心も弱っている人ほど簡単に多数派になびくので自殺反対から自殺賛成に鞍替えする人々が続出するかもしれません。
また、ブログ主氏が「社会が自殺に慣用であれば出現しない」と断言している「死刑になりくて大量殺人を犯す人」と、1人でさっさと死ぬのが怖いのでその代償行為としてグダグダとネット上で自殺肯定論を述べているブログ主氏とは、実は根っこは同じように思います。ゆえに、氏が提唱する「物理的苦痛の無い安楽死システム」を社会に導入しても、病魔や強い薬で肉体的苦痛を受け続けている方は別として、「怖くて自殺できないから殺してくれ」レベルの連中への防犯効果は皆無かと…
全身麻酔なら苦痛なく死ねる」と悟ったブログ主氏とて「現世への帰還確立が極めて高い手術用の麻酔」だからこそ恐怖感が沸かなかった訳で…実際、死刑台に上がった死刑囚は死の痛みに至る前に死への恐怖で錯乱すると言いますし、「切腹」や「自決」(銃、手榴弾、青酸カリ、絞殺、崖から飛び降りetc.)を強制された先人の御霊から見れば「全身麻酔なら」等とかなり生ぬるい条件をつけた上での「死は怖くない」宣言は神経を逆撫でするでしょう。
「死ぬのは自由だ」(=でも本当は生きたい。幸福な人生が今すぐ手に入るのなら。それは無理だと死ぬほど痛感してるけど※。
「死ぬのは自由だ」発言で弱音と辛さを激烈に訴え続けずにはいられない、毒親に育てられて愛情に飢えている私に愛を下さい。あと「安楽死尊厳死とう世間のタブー」に独自のリアル体験を交えながら深く斬り込む私は賢いでしょ、私を褒めて、私を愛して…∞)
などという、度が過ぎる回りくどさで発露される愛情クレクレ欲求の、ゆき過ぎた婉曲表現の仕組みの大枠には何となく気付いても、余りに事象がこんがらがり過ぎており、私のような素人にはどうにもできません。

だからこそ、「引きこもり支援暦20年以上のエキスパート」であらせられる不登校情報センター代表・松田大先生を頼っておられるのでしょうが、ずっと観察していますと、ブログ主氏は何とか命はつないでいるものの、「凄腕ロングキャリア支援者=スーパー松田大先生」の手を借りているにも関わらず、じりじり悪化しているように見え、「支援の一環」として氏にブログを書かせている不登校情報センター及び、氏をたきつけブログを書かせている不登校情報センターの代表松田氏の支援能力・手法にも大いに疑問が残るものです。

毒親に育てられると心が穴の空いたバケツ状態、もといザル状態になるので、例えばブログ主氏のように、自分に温かい言葉をかけ、ハグまでして愛情を注いでくれる恋人さんがいても、その愛情はザル穴からどんどんこぼれ落ちていくので、心の穴を塞がない限り、どんなに愛情をもらっても満たせないし幸福も感じられない。まー、超エキスパート不登校情報センター松田大先生はそれを見ても知っても「いらぬお節介はしない主義」ですから、これまでも、そしてこれからも、「本当に、決して、何もしない」と思います。
それどころか、「背中のしょい籠に、収穫した野菜を入れるのだけど、野菜を拾おうと体を前に倒したときに籠の野菜が落ちるので永遠に収穫作業は終わらない」的な、まるで理科室にある永久機関の科学模型のような、ブログ主さんが繰り返される報われない永久動作を生温かい視線で観察しながら「実に興味深い『検体』だ。うん、実に興味深い。科学的に非常に面白い」と「どーよ、このシュッとした科学者目線※ イケてるだろ」と、ひたすら見届け(通所者自殺時の会葬を含む)と観察に徹するのみでしょう。
※松田代表のプロフィール欄には学歴の記載が無い為、学位をお持ちかどうかは不明であるが、例えるなら「昆虫採集に没頭する子供が、採集した虫をじっくり観察したり、解剖したり、標本にしたりする」等の「純粋な科学的好奇心」に類するものに学位・学歴等は不問である。