「自殺幇助肯定」ブログを紹介する不登校情報センターが引きこもり支援を行う滑稽さ

前回の投稿タイトル「未婚独身ひきこもりの自殺を幇助しかねない」を何となく縮めて「ひきこもり 自殺幇助」でネット検索した結果、
くしくも不登校情報センターが借りているレンタルサーバー内に、不登校情報センターが率先して引きこもり当事者に書かせているブログの1つである「高齢ひきこもり」の中の「生の強制。」と題するページに行きつきました。
※注)「せいのきょうせい」と読む。このブログ主様は引きこもり当事者にしては珍しく恋人が居らっしゃるのだが、その点を踏まえて「なまのきょうせい」「なまをきょうせい」と読むと思わず「DV男」と間違えて110番通報しそうになるので気をつけられたし。

当該ブログ「高齢ひきこもり」内の「生の強制。」と題する投稿文の末尾には

「生きていたくない人は、本人の希望によって、苦痛なく死ぬことができる。そんな世の中が来ることを、心から願っている。」

と記されています。

当該ブログ記事は不登校情報センター代表・松田氏が執筆したものではありません。しかし、当該ブログ「高齢ひきこもり」は、不登校情報センター代表・松田氏が不特定多数の引きこり当事者たちに「ブログを書きませんか?」と、けしかけて書かせているブログの1つです。
しかも当該ブログ「高齢ひきこもり」は、不登校情報センターが借りているレンタルサーバー内に作られたブログページであり、開設が簡単ゆえ利用者も多い「ヤフーブログ」等の大手IT企業の無料ブログを利用しているものではありません。IT企業の無料ブログ利用しているならば、記事内容の管理責任の一端は無料ブログの提供会社にあるとも言えますが、当該ブログ「高齢ひきこもり」は、完全に不登校情報センターの管理下に有ります。
これは不登校情報センターが当該ブログ記事の掲載許可を出しているのであり、つまり不登校情報センターの支援活動指針に照らせば削除対象とはならない投稿であり、不登校情報センターも当該ブログの記事に何らの異議は有さないものと解釈できます。

自殺、安楽死尊厳死に関する是非を問う以前に、
「自殺、安楽死尊厳死」を肯定する内容のみが書かれたブログ・ページ(検索結果によっては「自殺、安楽死尊厳死」を肯定するページのみが表示されてしまう)の掲載を許可している団体が、自殺リスクが一般層よりも高いと言われる引きこもり当事者の支援を行っている事に、大いなる矛盾と、大いなる危険性を感じずにはいられません。
この状態は、ブログ「高齢ひきこもり」の執筆者氏のみならず、不登校情報センターが「自殺、安楽死尊厳死」を肯定していると受け取れます。「単にブログの場所を貸しているだけで、本人が何を書こうが自由」という弁解は通らないでしょう。
不登校・引きこもり支援とは無関係でNPOでもない、どこかのIT企業のレンタルブログにでも書いている場合なら別ですが、それでも不登校情報センターと相互リンクをする場合は完全に無関係とは言い切れないでしょう。
ましてや、「高齢ひきこもり」執筆者氏は、不登校情報センターの一員として支援目的の「文通ボランティア」をされているので、単に不登校情報センターと縁遠い者にブログ・スペースを貸してあげているだけだから「何がブログに書かれていようとも、その内容と不登校情報センターは一切関係ありません」という弁解は通りません。
二条淳也・文通ボランティア
さらに、ブログ「高齢ひきこもり」には、グーグルのクリック広告が張られています。もしそのアカウントが不登校情報センターのもので、広告収益がいったん不登校情報センターに入っているのなら、「単にブログの場所を貸しているだけで、本人が何を書こうが自由」という弁解はなおさら通りません。思想面にとどまらず、経済面においても、ブログ「高齢ひきこもり」と不登校情報センターは「一体不可分」の関係性が生じるわけですから。
なお、グーグル等で検索すると、「高齢ひきこもり」ブログは以下のように検索結果に表示されます。
「高齢ひきこもり-不登校情報センター」と。

この現状からして、「不登校情報センターは、単にブログの場所を貸しているだけであって、ブログ執筆者が何を書こうが思想信条の自由であり、不登校情報センターの意向・活動指針と、ブログ「高齢ひきこもり」の内容に密接な関連は全く有りません」と言い切れるものでしょうか? また、「不登校情報センターが、ブログ「高齢ひきこもり」の内容を監督・管理する謂れは全くありません」と言い切れるものでしょうか?


私は自殺肯定論者ではありませんが、あえて自殺肯定論に譲歩するなら、「自殺という結論を急がず、とりあえず幸福になれる方法を探しながら生きてみて、色々試したけれども、それでもどうしても幸福を得られないのなら、自殺を考えるのは、それからでも遅くは無い」と思います。(…と他人には言えても自分でそれを実行できるかは怪しいものですが)
ブログ「高齢ひきこもり」執筆者氏が、辛うじてパートタイム労働者になり、「引きこもりを脱してみたけど幸福を得られなかった。結局無駄な努力と我慢でしかなかったから社会復帰の経験者として自殺に賛成する」とブログ執筆者氏個人が内心でどう思おうが自由だとは思いますが、その「自殺に賛成論」を不特定多数が目撃するネット上に流布する事は、精神的に脆い人々を不本意に自殺に誘導する懸念があるので倫理上問題があるかと思われます。

当該ブログ主氏に言いたいのは
(※直接コメント欄に書けないのは、コメント拒否に留まらずドメイン内全ページの閲覧ブロック=まるで中国共産党の如き不登校情報センターによる卑怯な情報統制・言論圧殺を回避する為です。不登校情報センターに赤旗が置いてあったのも道理です。せいぜい赤旗不登校情報センター運営の手引きにでもしているのでしょうか?)
「貴方が『本当の本当に死にたい』のなら、どうかひっそり貴方1人で不言執行すべき。ブログ執筆を通じて「死にたい教の仲間※」を集めて他人を道連れにする感じになるのは、なんだか“1人で死ぬのが怖い”みたいで非常に見苦しく、甚だ迷惑なのでやめて。仮に『死ぬのは自由』が本心ではないネタ発言であっても、不特定多数かつ精神年齢・心身の健康状態も様々な人が見るネット上に公開すると、真に受ける人が居ないとも限らないので
※実際にブログ主氏の「死ぬのは自由」に賛同する意見コメントが思いのほか多いので本当に死にたい教が形成されるかもしれませんし、検索でそのようなブログに来る、自我が脆く心も弱っている人ほど簡単に多数派になびくので自殺反対から自殺賛成に鞍替えする人々が続出するかもしれません。
また、ブログ主氏が「社会が自殺に慣用であれば出現しない」と断言している「死刑になりくて大量殺人を犯す人」と、1人でさっさと死ぬのが怖いのでその代償行為としてグダグダとネット上で自殺肯定論を述べているブログ主氏とは、実は根っこは同じように思います。ゆえに、氏が提唱する「物理的苦痛の無い安楽死システム」を社会に導入しても、病魔や強い薬で肉体的苦痛を受け続けている方は別として、「怖くて自殺できないから殺してくれ」レベルの連中への防犯効果は皆無かと…
全身麻酔なら苦痛なく死ねる」と悟ったブログ主氏とて「現世への帰還確立が極めて高い手術用の麻酔」だからこそ恐怖感が沸かなかった訳で…実際、死刑台に上がった死刑囚は死の痛みに至る前に死への恐怖で錯乱すると言いますし、「切腹」や「自決」(銃、手榴弾、青酸カリ、絞殺、崖から飛び降りetc.)を強制された先人の御霊から見れば「全身麻酔なら」等とかなり生ぬるい条件をつけた上での「死は怖くない」宣言は神経を逆撫でするでしょう。
「死ぬのは自由だ」(=でも本当は生きたい。幸福な人生が今すぐ手に入るのなら。それは無理だと死ぬほど痛感してるけど※。
「死ぬのは自由だ」発言で弱音と辛さを激烈に訴え続けずにはいられない、毒親に育てられて愛情に飢えている私に愛を下さい。あと「安楽死尊厳死とう世間のタブー」に独自のリアル体験を交えながら深く斬り込む私は賢いでしょ、私を褒めて、私を愛して…∞)
などという、度が過ぎる回りくどさで発露される愛情クレクレ欲求の、ゆき過ぎた婉曲表現の仕組みの大枠には何となく気付いても、余りに事象がこんがらがり過ぎており、私のような素人にはどうにもできません。

だからこそ、「引きこもり支援暦20年以上のエキスパート」であらせられる不登校情報センター代表・松田大先生を頼っておられるのでしょうが、ずっと観察していますと、ブログ主氏は何とか命はつないでいるものの、「凄腕ロングキャリア支援者=スーパー松田大先生」の手を借りているにも関わらず、じりじり悪化しているように見え、「支援の一環」として氏にブログを書かせている不登校情報センター及び、氏をたきつけブログを書かせている不登校情報センターの代表松田氏の支援能力・手法にも大いに疑問が残るものです。

毒親に育てられると心が穴の空いたバケツ状態、もといザル状態になるので、例えばブログ主氏のように、自分に温かい言葉をかけ、ハグまでして愛情を注いでくれる恋人さんがいても、その愛情はザル穴からどんどんこぼれ落ちていくので、心の穴を塞がない限り、どんなに愛情をもらっても満たせないし幸福も感じられない。まー、超エキスパート不登校情報センター松田大先生はそれを見ても知っても「いらぬお節介はしない主義」ですから、これまでも、そしてこれからも、「本当に、決して、何もしない」と思います。
それどころか、「背中のしょい籠に、収穫した野菜を入れるのだけど、野菜を拾おうと体を前に倒したときに籠の野菜が落ちるので永遠に収穫作業は終わらない」的な、まるで理科室にある永久機関の科学模型のような、ブログ主さんが繰り返される報われない永久動作を生温かい視線で観察しながら「実に興味深い『検体』だ。うん、実に興味深い。科学的に非常に面白い」と「どーよ、このシュッとした科学者目線※ イケてるだろ」と、ひたすら見届け(通所者自殺時の会葬を含む)と観察に徹するのみでしょう。
※松田代表のプロフィール欄には学歴の記載が無い為、学位をお持ちかどうかは不明であるが、例えるなら「昆虫採集に没頭する子供が、採集した虫をじっくり観察したり、解剖したり、標本にしたりする」等の「純粋な科学的好奇心」に類するものに学位・学歴等は不問である。

未婚独身ひきこもりの自殺幇助を阻止する為に

不登校情報センター公式ブログにおいて、「未婚独身ひきこもりの自殺を幇助しかねない」投稿が見受けられましたので、この投稿を以て此処に「紙の砦」を構築したいと思います。

幼児の子育て相談になりました

元・不登校情報センターの通所者であるという女性が、不登校情報センター代表・松田氏宛てに、子供を出産したという「ほほえましい内容のメール」を送り、不登校情報センターは公式ブログ「引きこもり居場所だより」にこれを転載し、松田代表が「あたたかい」コメントを添えました(ご多分に漏れず、松田代表が毎度メールの送り主である母親ご本人に、不登校情報センター公式ブログへの転載許可を取ったか否かは、いささか不明ですが)。

あたかも、手の付けられない不良少女だった元・女生徒が、産んだ子どもを連れて自らの更正・社会復帰に手を尽くしてくれた母校の恩師を訪ねる・・・読者にそのような心温まる情景との重ね合わせが起きる事を期待した投稿だったのかもしれませんが、そういう実例はさほど多くないと聞きます。第一に、子育ては非常に忙しいからです。現に、不登校情報センターに届いたのも手軽に送れる電子メールです。

そして、「いずれ、産んだ我が子を不登校情報センターに連れて行って松田代表に会わせたい」という趣旨の文面なのですが、実際には何もしていない「支援者」もどきを、あたかも大の恩師であるかのように子供に紹介してしまう行為はお勧めできません。
実際に接してみてオカシイ点は色々見えているはずなのに松田代表をそれでも支援者と崇めてしまう=精神的には未だ引きこもり状態を濃厚かつ本質的に引きずっている親と同様に思考力の乏しい子供が育ってしまうか、親の思考力の無さに子供が落胆し――それをバネにして親から精神的ひいては経済的に自立できれば「災い転じて福となす」ですが(※後述する松田代表のご子息も、そういう例かもしれません)――単なる親への失望で終わってしまい重度の無気力症に罹るか、あるいは反動でグレてしまう可能性も捨てきれないからです。


しかし、メール文をボーッと眺めていれば「ほほえましいエピソード」に見えてしまいますし、「私は人の親として育児相談にも乗れるのだ」という点をブログ読者に強調したいからこそ、不登校情報センター代表・松田氏は公式ブログでこれに言及したのでしょう。

しかし、この一見すると「ほほえましいエピソード」は、現代では一般人ですら結婚難と言われている世情においても、ひときわ結婚に縁遠く、その点に引け目や絶望を抱いている引きこもり当事者、及び「孫の顔をおがみたい」と願い、結婚適齢期を迎えた、或いは適齢期を過ぎた未婚・非婚・独身の引きこもり当事者に日々プレッシャーを掛け続けている、あるいは決して払拭されない失望の視線を日々向け続けている親御さん方の仕打ちに耐え忍んでいる引きこもり当事者たちに対する配慮をあまりに欠いた投稿であるとも言えます。

百歩譲って、仮に不登校情報センターが、引きこもり当事者の「お見合い相談」(結活)に乗ってきた実績が有り、その成果としてのメールなら掲載しても良いでしょう。しかし、そのような実態はありません。引きこもり当事者(主に女性)が結婚できたのは、不登校情報センターの外から降って湧いた単なる偶然や幸運の巡り会わせでしかないので、それをあたかも不登校情報センターの支援実績・支援成果であるかのように公式ブログに掲載する道理は全く通りません。

また、「引きこもり当事者でも、このような幸せな結婚は可能」という希望をチラつかせて不登校情報センターへの集客と、
さらには「このように引きこもり当事者でも結婚は可能なのだから、結婚できないのは貴方が悪い=お前の自己責任」という論調を醸成し、体たらくな不登校情報センターの支援体制に対する批判意見の封じ込みと、結婚できた引きこもり当事者と出来ていない引きこもり当事者が交流する事で「実は不登校情報センターは引きこもり当事者の結婚に際して何のサポートも寄与もしていない」という事実が明るみに出る事を恐れて両者の交流分断を画策し、これまでの深い業の数々に起因する不登校情報センターおよび松田代表に対する不可避な批判意見の集積を駆逐する意図も窺えます。

んで、なんで、こういう知らせメールは「女性ばかりから」来るんでしょうね?

「自分は1人が好き」と言いながら、「その若過ぎる晩年」において、支えてくれる人が欲しかったのか「結婚したいなぁ」と漏らし、その後「君は、親の老後の面倒ちゃんと見れるの・・・?」などと極めて現実的な質問をし、「働かなきゃ・・・」と自分自身に言い聞かせるように呟かれ――その方が不登校情報センターを訪れた際に、平行して「支援者としての」サポートのもとで求職活動をされていれば年齢的に「再び働く事」は可能だったにも関わらず、“名ばかり支援団体”である不登校情報センターはこれを放置した為、その方の再就労の難易度を更に引き上げてしまった)、そして急速なうつ状態に陥り自殺してしまった方を知っています。不登校情報センターに顔を出された方で自殺された方々は男性に圧倒的に多い。

松田さんよ、彼らの自殺は知らんぷりですか?
幸運にも結婚できた引きこもり女性達を内心で喜ぶのはいいが、いっぽうで自殺していった男性方のいる「支援」団体の公式ブログに「結婚出産おめでとう。そう、全ては“繋がっている”のです」等とヘラヘラと書き散らすのは、どういうご神経をお持ちなのですかね? 人生にピリオドを打ってしまった自殺された方々を完全に無視しているから「繋がっている」等と軽々しく表現できるんですよね?
彼らの自殺は「自分とは全く無関係」「無かった事」になってるんですかね?
非常に許せない。不愉快極まりない。

不登校情報センター公式ブログで言及記事があるように、松田代表には、少なくともお1人、ご子息が居ます。松田代表のメンタリティを考えるとき、ご子息が引きこもりや、精神疾患に罹らずに済んだのは「恐らく外部的な要因も大いにプラスに働いての、極めて幸運な出来事」であると思いますし、松田代表が神様を信じようが信じまいが、松田代表はその幸運に大いに感謝する義務と責任があるはずだと、ひしひしと感じずにはいられません。
松田代表が、こういうときに口走るであろう「何とかなる」「実際に何とかなった」は自身の大いなる幸運への感謝精神と真っ向から対立する、言わば「宝くじで俺は1億円当たったから君だって当たるさ。将来の生活の事は心配するな。何とかなる。大丈夫、大丈夫(笑)」レベルの説得力が皆無のレアー・ケース針小棒大に解釈した、度の過ぎたポジティブ・シンキング論でしかありません、松田代表の育児アドバイスなどは…。

もし私がご子息の立場だったら――松田代表と血の繋がった親子関係であったならば「精神衛生上、タダでは済まない」でしょう。

ある時、ひょっこり不登校情報センターを尋ねられたご子息が、松田代表からお金を無心している様子を拝見し――毒舌じみた表現をすれば、松田代表をカネヅル扱いするご子息の様子を拝見した時、少々戸惑いましたが、今にして松田代表のメンタリティを考慮に入れれば、たとい血の繋がった親子関係にあろうとも、「あのような精神的な距離感は、松田代表に対しては極めて有効かつ適切な接し方である」と今なら断言でき、ご子息のご行為を「世間一般に溢れる、親孝行を強制する常識論に惑わされる事無く、よくぞあのように行動してくれた」と賞賛する所存です。

ある方から、当時「表面上」うまく行っているように見えた私と松田代表の関係について心配された事があります。
今なら、その理由が非常によく分かります。
私は「いちばん避けるべき人を、いちばん頼ってはいけない人を、心底頼ってしまった」からです。
そんな松田代表が、ただでさえ依存傾向が有り、自分のアタマで思考する事が苦手な「元」――本当に「元」かどうかは現実の精神上の問題としては怪しいと言わざるを得ませんが――「元」引きこもり当事者である母親の「育児相談」に乗るというのは、非常に危険なシチュエーションであると指摘せざるを得ません。


踏み込んで懸念材料を引用すれば、

子どもの心配になることをいくつか聞いた後で、「いいところは?」と聞き返しました。「私(お母さん)が大好きなところかな」と言います。「それでいいじゃないの」。

「今さえ良ければそれでいい。後は野と成れ山となれ(老い先も短い事だし)」という言葉がぴったりな、いかにも松田代表らしい返答だと思います。

幼子が親に笑顔を見せるのは「生存本能」の仕業です。人間の幼子は、産み落とされたその日のうちに自らの足で立ち上がる子馬などの動物とは違い、極めて脆弱な存在なので、自身の生存の為、親の庇護を獲得する為、親の顔を見たら笑顔を見せる、基本的に親を好くように、親から好かれる行動を取るように、本能に刻み込まれているのです。
子供が半ば生存本能によって口走る「ママ大好き」発言を以て、充足されていない親自身の承認欲求・自己肯定感を満たす」ような歪んだ状況に気付かずに親子が突き進んだ場合、相応の悲劇が予想されます。
それは、子供が反抗期を迎えた際、「子供の頃はあんなに可愛かったのに」等と面喰らう一般的な親心の悩みを遥かに超えた危険な領域に達する恐れがあります。自身の心の問題を解決せずに引きこもり当事者が、なし崩し的に親になった場合は特にそうです。
「自分が受けたような虐待を子供にしてしまう可能性があるから、結婚しても子供は作らない」と宣言した、とある引きこもり当事者の言葉が頭に浮かびました。
引きこもり支援団体から支援を受ける事によって、引きこもり当事者は、自身が作った子供を精神病に追い込んだりしない程度にはマトモな親になれる道筋を得られると期待したいところですが、不登校情報センター及び松田代表のこれまでの活動を観察した限り、或いは今回のメールのやり取りからしても、不登校情報センター代表松田氏にそのような淡い期待を、いわんや過度な期待を寄せるのは禁物であると言えましょう。

べつだん不登校情報センターや松田代表を引き合いに出さずとも、「虐待の連鎖」(虐待を受けた子が親になり、自分の作った子供に虐待をしてしまう世代間連鎖)というものが現実に存在します。
虐待とは、肉体的・心理的、目に見えやすいものか・見え難いものか、程度の大小まで様々です(人は個性が1人1人違う以上、程度が一般的に見て小さくとも大きな傷を受ける子供もおり、そういう子供を弱い子・駄目な子と非難するのは道理が通りません)。この「虐待」についても留意する必要が有ります。


名著『赤毛のアン』が示す、多様な家族形態の先見性

言わずと知れた、19世紀のカナダを舞台にした世界的にもファンが多いフィクション小説ですが、現実に起きた子供取り違えのハプニングに着想を得て執筆されたと言われています。
もう若くはない独身農夫(と農婦)の一家を手伝う働き手として、孤児院から男児を引き取るつもりだった開拓地のカスバート家のもとに、手違いで女児のアンが来てしまうところから物語が始まります。

何より特筆すべき点は、長男・長女が暮らす「本家」でありながら、「まるで分家」のようなカスバート家の家族構成で、「女性と接するのが大の苦手ゆえ婚姻暦の無い初老の男性マシューと、頑固者でこれまた婚姻暦の無いマシューの妹マリラの2人暮らし」という、世間一般から「訳有り」と見做されそうな家に、孤児院から里子が来るという、当時としては「社会の余り者同士が暮らしている」と揶揄されそうな一家が、互いを理解し合い成長していくストーリーは、世界情勢・社会環境が多様化するいっぽうで、これを伝統文化・秩序の破壊であるとしてテロリズムやヘイトデモが横行するギスギスした現代社会に対して、「本当に大切なものは何か」を問いかける普遍性のある作品であると感じられ、原作者は100年以上先の未来が見えていたのではないかと驚愕させらるほどです。

里子制度は現代の日本にもあります。近年では、児童虐待などの理由から施設に保護される子供が増加しており、虐待被害により「強度の人間不信に陥った子供」の子育ては一般的に非常に大変であると言われていますが、大人側の真摯な姿勢と適切なサポート体制があれば、決して乗り越えられない壁ではありません。
里子制度については、スタジオ・ジブリでアニメ映画化もされたイギリス文学『思い出のマーニー』でもクローズアップされています。


世界、社会、家族は、多様化し変化を続けています。

結婚♪出産♪子育て♪メデタイナー♪ 等々と、どこぞのイイカゲンな「支援者」もどきが、お手軽な取り繕いと自己保身の為に、旧来の価値観を発言の場所を選ばず無責任に撒き散らかす――このような稚拙なプロパガンダに惑わされ、無用に心を傷つけられる人々が少しでも減ることを、切に願うものであります。

NPO不登校情報センター「ヒッキー生活充実展示場」はアフィリエイト・サイト

NPO不登校情報センターの公式ホームページには、かなりの割合のページに「クリックするとグーグルからNPO不登校情報センターへ報酬が支払われるクリック広告」や、「クリックした上に購入すると、ネット通販大手Amazonから購入金額の一部がNPO不登校情報センターへ支払われるアフィリエイト広告」がベタベタと貼ってあります。
そういう状態を長く見てきましたので、正常な感覚が鈍っていたのですが、そんな鈍磨した感覚を叩き起こすかのようなページを発見しました。

ヒッキー生活充実展示場

引きこもり支援と結び付けていますが、要するに生活雑貨の販売です。引きこもりでない人々でも消費する生活日用品の数々をアフィリエイト広告を通して販売しています。どの項目でも結構ですのでクリックしてご確認下さい。例えばこのページとか、このページとか・・・。

そもそもAamazonなんてのは、世界中のジメった物流倉庫でブラック労働をさせたり、実際この2016年春からは2000円未満の商品の送料無料を廃止していますし、TPPのISDS条項を駆使して、引きこもり当事者が最も利用するであろうコンビニ支払いで「期日までに支払わなかったらキャンセル」の場合、キャンセル手数料を請求したり、勝手に代金着払いに変更して商品を送りつけてくる危険性のあるハゲタカグローバル企業様だから今いちばん儲けさせてはいけない企業なのです。
「ヒッキー生活充実展示場」・・・実態は「展示場」ではなく「店」です。店が商品を陳列している状態なのであり、決して「展示場」ではありません。「店」と正確に名乗らないのは、アフィリエイトをしている事実を隠したいのでしょう。実に卑怯です。
ここまで露骨に卑怯ですと、鈍磨していた感覚が叩き起こされるものがあります。
恐らく、普通の感覚なら、こんな露骨なアフィリエイト・サイトは「作れない」でしょう。
それもこれも「引きこもり支援」を持ち出せば「商品を陳列しただけのサイトでも何とかなる」、そして「引きこもり支援」という錦の御旗・大義名分のもとなら「何をやっても許される」という確信犯でしょう。
まるで「人民の解放や、極悪資本主義を打倒する為ならば暴力革命も許される」と堂々と主張して憚らなかった明確な過去がある為に公安当局から監視されている某政党のような臭いがします。それは、熊本地震の後、誰もが立ち入る事が出来る政党の演説会に置いた募金箱で「熊本地震への募金と、政党への寄付・カンパ」を「うっかり同じ募金箱で行った」という、「社会ズレ」した行為とも似ています。送り先が熊本地区委員会(言わば○○党・熊本支店)だろうが「直接、赤十字等に持っていかない時点でアウト」です。在京のテレビ局(キー局)が募金を募ったら直接、赤十字へ送金します。一旦、傘下の熊本の地方テレビ局に送金するという話は聞いた事がありません。


話がそれましたが、NPO不登校情報センター公式アフィリエイトページ(苦笑)で、いちばん巧妙なのが、ネットで銀行口座開設のページでしょう。これを一発でアフィリエイトと見抜けないのは、ネット初心者だけでしょう。このページのバナー広告をクリックした人が、楽天銀行の口座を開設すると、アフィリエイトの成功報酬がNPO不登校情報センターに支払われる仕組みです。
近年は「振り込め詐欺」をはじめとする金融口座の犯罪利用を防止する観点から、昔に比べて金融口座の開設は規制が厳しくなっています。同一名義であれば1金融機関につき1口座という原則めいたものが言われており、例え口座を未開設の銀行であっても、生活圏に本支店が無い銀行の場合、開設を断られる事もあると言います。口座を無制限に作る事が許されない社会状況ですから、閲覧者が楽天銀行の口座開設をした際にNPO不登校情報センターに支払われるアフィリエイト報酬額は少なくないはずです。

しかも!楽天といえば、楽天ポイント楽天銀行の口座を開設するという楽天アフィリエイトでは楽天ポイントが貯まる。つまり通常は楽天ポイントでしかアフィリエイト報酬が支払われないのですが、バナー広告にポインタを重ねると、「px.a8.net」と表示されるので、これはアフィエイト大手「A8ネット」経由の広告である事が分かります。するとアフィリエイトの成功報酬は楽天ポイントではなく現金がA8ネットからNPO不登校情報センターに支払われる訳です。このポイント現金化の仕組みはアフィエイターの間では有名らしいです。

「赤字で廃線の危機に瀕している千葉県のC電鉄が、本業の鉄道業とは縁もゆかりも無い『ぬれ煎餅』を売ってしのいでいるのと同じだ」などと、NPO不登校情報センターに集うという鉄道ファンを扇動して言い訳してきそうですが、本当に「同じ」「同質の事」と言えるでしょうか?

そもそも、同じ社会底辺層(私もそうなので怒らないで下さい)・貧困層の同胞である引きこもりをダシにして、しかも表向きは支援と銘打ち、裏でやっている事はアフィリエイト。その点は隠しながら大々的に商売する事に、良心の呵責は微塵も感じないのでしょうか。

これは前述した政党がバックにいた国鉄労働組合(こくろう)が、国鉄から解雇された組合員の生活資金・労働運動の資金を得る為に「こくろうラーメン」というインスタント麺を販売していたのと同じ――それと同じくらい「正当性が有る」という程度の認識でNPO不登校情報センターはアフィリエイトをしているのかも知れません(労組の先鋭化した運動・ストライキ国鉄の客離れ・イメージ悪化を招き、むしろ国鉄民営化・JR発足を促進したという皮肉な歴史には目をつぶって)。


百歩譲って、NPO不登校情報センターの「非営利ではない範囲でのアフィリエイト」と主張するであろう、NPOが禁じられていない範囲での、営利追求を目的としない商業活動として「アフィリエイト」を容認したとしても、これだけ露骨なアフィリエイトをしている以上、ちゃんと商業活動および収支を監督官庁である東京都庁に報告する義務は免れません。NPO不登校情報センターは過去に事業報告書の未提出を東京都から指摘されています。
また、露骨なアフィリエイトNPO不登校情報センターが得た収益も、「作業費の未払いが常態化していますが仕方のない事です」などと誤魔化さず、コツコツとサイト制作に従事したNPO不登校情報センター会員各位に支払わねばなりません。
最近の調査では、小学生の憧れる職業のベスト10に「ユーチューバー」(ユーチューブ動画に挿入されるグーグル広告で稼ぐ人)が入っており、個人で億単位を稼いでいる人も複数居ます。NPOという看板の信用、複数の作業者による数千ページのウェブサイトの規模を考えれば、アフィリエイト収益がスズメの涙ほど、という事は考え難いのです。全体で幾ら儲かり、それを何人に配分したか、きっちりと情報公開をした上で、作業者にしかるべき報酬を支払うべきでしょう。逆に、NPOの看板を背負い、引きこもり支援と銘打った巨大サイトのアフィリエイト収益がスズメの涙ほどであるならば「目的とする特定非営利活動に係る成功の不能」(NPO法人格を認証したものの活動が失敗していると見做しお役所がNPO法人格を剥奪するときに使われる用語)と見做されても仕方ないでしょう。

現在、在京NPOの事業報告書は、東京都NPO法人ポータルサイトによって公開されています。「認証法人情報」というページで検索できます。読者の皆様におかれましては、情報監視をお願い致します。

・・・ところが、「認証法人情報」を検索してもNPO不登校情報センターは表示されません。
以下のNPO一覧ページにも載っていません。※かなり重たいページです。
http://www.npo.metro.tokyo.jp/npo/pages/provide/cmn/link/ninsyou.txt

? ? ? 

内閣府NPOホームページに「全国特定非営利活動法人情報の検索」というページがありましたので、事業所を都外へ移転したのかと思い、検索してみましたら、ちゃんとNPO不登校情報センターはNPOデータベースに載っていましました。

ところが・・・末尾の欄に
「解散情報
解散年月日:2016年03月28日 解散理由:社員の欠乏(法第31条第1項第4号)」
と書かれているのです!?

全く不思議です。
公式ブログやら公式ホームページやらは未だに更新され続けているのに、「社員欠乏」!?

さらにNPO不登校情報センター公式ページは「『NPO不登校情報センター」とNPOを名乗ったままなのです!?

なるほど、もはやNPOでないならば、いくらアフィリエイトやら商業活動をしてもよいわけです・・・・そこで、もし「社員の欠乏によりNPOを解散した=不登校情報センターはNPO法人ではなくなった」というのが情報伝達上で生じた齟齬でないなら、ビル屋上の巨大看板などとは違いすぐに更新が出来るウェブサイト上で「解散日」から4ヶ月経っても「NPO不登校情報センター」と名乗り続け、「そういうルーズさがウチの“売り”だ。ルーズなほうが引きこもり当事者は緊張しないで済むからだ」などと行き過ぎた合理化のすえ、不登校情報センターはNPOではなくなったという報告を閲覧者に行わないのは流石にマズイのではないでしょうか?????

「らあめん花月嵐」の店舗格付けのパロディ「引きこもり支援者格付け表」

民放ニュース番組の特集枠で「一風変わったシステムを導入している飲食チェーン店」として「らあめん花月嵐」が紹介されていました。
フランチャイズ店を8段階に詳細に格付けし、格付け基準には「感動を与える」等の精神論も含まれていたため、「もしやブラック企業か!?しかもその自覚が皆無な人たちか!?」と、個人的には良い第一印象を持ちませんでした。
らあめん花月嵐オフィシャルサイト
しかし、店舗格付けの抜き打ち検査Gメンへの密着取材を見て、ともするとブラック臭くも見えてしまう同フランチャイズの店舗評価システムに、一定の理解を示しますに至りました。同じ飲食代を払っているのに、店によって具の量が明らかに不足していたりしたら、そりゃ嫌ですから。

番組終了後、らあめん花月嵐のウェブサイトにアクセスし、
らあめん花月店舗評価基準」を一読してみると、「この表は、主語等を少し差し替えれば、すんなり引きこり支援団体の評価基準として当てはまるのではないか」と思い立ち、パロディを作成してみました。

らあめん花月嵐の店舗評価基準」のパロディとして作成した
「引きこもり支援者のスキル評価基準」

【特】ランクの引きこもり支援者・団体
支援を求めてきた引きこもり1人1人に、単なる「お得感」という名の錯覚ではなく、実のある本当の幸せと感動を与え続けられる、本当に素晴らしい支援者。文句の付けようの無い支援活動は他団体の模範であり、他を圧倒する。

【上】ランクの引きこもり支援者・団体
引きこもり支援の趣旨をよく理解した上で、さらに細かい引きこもり当事者・家族への心遣いが感じられる支援者。「よい支援者に出会えて良かった!」と思われるような支援活動を常に心掛け、実践していこうという姿勢が行き渡っている。
しかし、これは引きこもり支援において出来て当たり前である事を忘れずに、さらに高いレベルを目指して努力していく必要がある。

【並】ランクの引きこもり支援者・団体
支援全般に渡り、繁忙期や時間帯別による多少のミスや、スタッフの個人差によるバラツキはあるものの、ほぼ理想どおりに運営されており、日本引きこもり協会が認める標準的な支援者。少なくとも、引きこもり当事者・家族に対して不快を与える事は無いが、このレベルに留まるべきものではなく、しょせん、他の支援者と切磋琢磨できる土俵に“やっと上がった”に過ぎない。

【劣】ランクの引きこもり支援者・団体
基本的に、引きこもり支援の基礎知識を習得した上で、それを実践しようという姿勢は認められるが、部分的に大きな過失や、一部行為で学術的根拠を軽視したり、逸脱した行為が見受けられる支援者。
仮にこの状況が続けば、引きこもり当事者・家族の心を傷つける危険性が高く、他の支援者より劣ると言わざるを得ない。いかなるときでも、基本に立ち戻り努力していく必要がある。

【恥】ランクの引きこもり支援者・団体
ほぼ学術的根拠に沿った一通りの支援は行えているものの、引きこもり当事者・家族への気遣いに一部不備が見受けられる支援者。
引きこもりの人生、および彼らのデリケートな心を扱う支援者としては、あってはならない恥ずべき行為であり、運営にあたって更なる注意喚起をしなければならない。

【悪】ランクの引きこもり支援者・団体
引きこもり支援の書籍等には一通り目を通したが、その趣旨がよく解らず、自分にとって都合の悪い部分は勝手な解釈をして、支援活動を阻害しているにも関わらず、それでも「支援団体の運営はこんなものだ」と開き直りによる自己弁護に終始し、その結果として引きこもり当事者・家族に大きな不快感を与えるが、被害者は大抵それを即時には自覚できない。「もしも引きこもり支援以外の業界なら」顧客から悪い印象を持たれ、確実に客離れを起こすレベルの支援者・団体。
支援活動の全般において雑であり、このままの活動姿勢を続ければ、確実に人道から逸脱し、社会から取り残されてしまうであろう。
参照リンク:不登校情報センターへの支援依頼の顛末

【害】ランクの引きこもり支援者・団体
引きこもり支援の基本どころか、社会の一員としての基本原則そのものを忘れ、引きこもり当事者・家族に対する「支援をさせて頂いている」という感謝の気持ちなど更々なく、自分のエゴ剥き出しの活動内容に反省するどころか無関心を決め込み、全ての面において不誠実でやる気が無く、とても社会的弱者を相手に支援活動をしているとは言い難い最悪の「自称・支援者」。
真っ当な支援者達からは内心煙たがられ、存在自体が社会的害と見なされるであろう。
参照リンク:不登校情報センターへの支援依頼の顛末

【滅】ランクの引きこもり支援者・団体
即時、業界から追放される支援者。(こういう権限を行使できたら、どんなに良いことか・・・)


らあめん花月嵐」では、上記の【上】〜【害】ランクの格付けステッカーを加盟店の店頭に貼る事を義務付けていますが、引きこもり支援団体にも同様な評価システムがあればどれほど便利でしょうか。無駄に心身を傷つけられる人々や、取り返しのつかない最悪の支援結果を、どれだけ招かずに済むことでしょうか・・・

「器が大きい人物」を装う超・簡単な方法

その手口とは「人前で多少いいかげんに振舞う」ことです。
これは「器の大きな人は、小さなことでセコセコしない」という世間のイメージに漬け込む手口です。
真面目な人がこれを演技で実行する場合はかなりの労力を必要としますが、生来がいい加減な人の場合なら、演技なんぞ不要で、ありのままの自分を押し通すだけで成立するわけですから、楽なものです。

残念ながら、いいかげん過ぎたり、個性的過ぎたりで、社会に馴染めなかった者が、自分よりも弱い者を餌食にする形で、不登校・引きこもり支援「産業」に参入する図式が存在する事は否定できません。

この「人前で多少いいかげんに振舞う事で、器の大きな人間を装う手口」は、一般社会人が顧客の場合、さじ加減を誤ると「いいかげんで信用ならぬ人間・団体」というふうに、仕手側の評価を押し下げるレッテルを顧客側から貼られるリスクが伴います。

ところが、人を見る目が養われていない・社会経験の乏しい不登校・引きこもり等の人々、子供の心配に明け暮れ精神的に疲れている親御さんを「カモにする」場合は、この手口の実行で生じる仕手側のリスクは極端に減少し、言わば仕手側にとって明らかなローリスク・ハイリターンの構図が生まれ、仕手側にとっては良い事づくめの手口です。
支援団体選びの際は、支援者を気取る側には、このような手口が存在する例にもご注意下さい。

「人間的に器が大きい」のと「やること成すことイイカゲン尽くし」は雲泥の差であり、その差は支援結果にも如実に現れることでしょう。
最悪の場合、人命をも奪いかねません。

極端に誰かを、極端な誰かを、信じ易い人々が持つ理由とは

ネット上で偶然見かけた文章を取り上げます。執筆者が現実の誰かにそう言われたのか、あるいは執筆者の自問自答劇なのか定かではありませんが、非常に的を射ている文章であると感じました。原文は執筆者個人のデリケートな内容を含みますので、要点はそのままに、文体は大幅に変えて紹介致します。

「過去に辛い経験に遭い過ぎた人は、病的なほど人に対して疑ぐり深くなると同時に、病的なほど人を信じ易くなる

NPO不登校情報センターなどの残念な支援団体には、ある程度の期間関われば見過ごせない問題点が見えてくるはずですが、通うのを止めない人が居たとしましょう。その理由の大きな1つは、上記の文章で説明が付くと思います。
昔、支援団体の情報を交換するネット掲示板で「不登校情報センターは代表がいい加減過ぎる」とバッサリ斬って近づかない方を見かけましたが、その方は「過去に人並みの辛い経験はしたかも知れないが、幸運にも、人を見る目や行動に深刻な悪影響が出るほどの辛い経験には遭い過ぎて『いない人』」なのかも知れません。

支援者で居続ける事が目的化しているなら、支援に対するビジョンは永久に見つからない

神奈川県の葉山町(首都圏屈指の海洋リゾート・別荘地としても知られ、財政が豊かなのか町村議会としては議員報酬が全国トップレベル)で一位当選した某町議が覚せい剤で逮捕された件について有名政治ジャーナリストの意見
議員になる事が目的の議員。議員になって何をやりたいとかは無い

他にも、温泉への不正出張の繰り返しで号泣会見した兵庫県議や、育児休暇を申請して世間の注目を浴びるも不倫が発覚して辞職した国会議員なども、同じタイプの政治家かも知れません。

覚せい剤や不倫問題こそ取り沙汰されていないものの、残念ながらNPO不登校情報センター理事長・松田氏も、結果論として「支援者になる事が手段ではなく目的化している」可能性が大きいと思われます。
「結果論として」とは、松田氏が支援者になったのは「教育系の出版社に居た頃、世間から見過ごされ情報提供が追いついていない不登校の問題に気付き、様々な情報提供・相談を開始した」という成行きだそうです。発端が成行きであること自体は別に非難されるべきものでは無いと考えますが、そうである分、「支援者で居続ける事が目的化している」現状を見え難くしている可能性が大いに有ると思われます。

例えば、大臣等の役職を辞めても、議員辞職はしない政治家が居ます。やはり高額な議員報酬などが魅力的なのかもしれません。
いっぽうで松田氏は不登校情報センターを続けても、大金にはありつけません。しかし、「引きこもり支援者」という肩書きが手に入りますし、20年以上も続ければネームバリューは活動期間に比例して増大します。
定年退職などして「企業や社会での肩書きを喪失した」高齢者は、趣味活動などの「他の生きがい、他の自分」を持っていないと精神的に窮地に立たされると言います。特に中高年にとっての肩書きや趣味や自分らしさは、非常に大きな意味を持つ重要な要素であるという事です。これを否定したり手放したりする事は相当な恐怖を伴うわけです。

「何者でもないボク」「何者にも成れないボク」などと、十年後の自分には見せられない恥ずかしい自意識過剰さの、ピュアで赤裸々なポエムを綴れるのは「持たざる者」「若輩者として弱音を社会から受容される」若者の特権です。
いっぽうで松田理事長と同年代の高齢者が、自身の人生を一旦否定してみる事は非常に困難です。松田理事長に限った事では有りませんが、高齢の権威者が周囲から、老いによって低下した熟練度や、大した実力でないにも関わらず長年続けてきた点のみが過大評価され、その業界の権威であるという世間的な評価と、現実の能力との乖離を指摘され「老害」と揶揄される事態が多々生じるのは、その為でしょう。